桜沼文工楼

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弁当の話

平日の昼には大体弁当を食っている。

好きだからではなく義務だからだ。

そもそもの話をすると、食事という行為自体が鬱陶しいし出来れば一生何も食いたくない。

しかし食わないと死ぬので、しょうがなく昼飯を食うが、それがすぐ食べる事の出来るパンならまだしも無限にもそもそ食い続けなくてはならない弁当なんだからたまらない。

更に夏ならまだいいが、冬になると中の米は寒さで硬直し、炒め物類の脂は白く固まるしで最悪である。

しかし人生悪いことばかりでなく、何か救いがあるものである。

そう、お茶である。

こいつを使えば冷えた米や水っぽい玉ねぎ入りポテトサラダの味も食感も分からずに流し込むことができる。

だからと言って頼りきってはいけない。

飲み下す際にあまり多く飲みすぎると足りなくなり、その分もそもそ地獄を味わう羽目になる。

金があれば自動販売機のお茶という反則技をくり出すことができるが、友人と飯を食っている最中に立たなくていけなくなるし、何故か自販のお茶は火傷しそうなぐらいに熱くちょっとづつしか飲めないので可能な限りこれは避けたい。

こうして毎日弁当とのやりとりをしているのだから勉学も教養も身に付いた物ではない。

全部この弁当が悪いのだ。